華道家 新保逍滄

2017年12月8日

21世紀的いけ花考 第65回



新興いけばな宣言(1933)を一つの契機として、生け花は大きく変わっていった、という話でした。一言で言えば、モダン芸術の影響を受けたわけです。その影響は現在まで続いています。現代生け花の課題を国際的な文脈で考えようとすると、様々な疑問が生じてきます。それらをおいおい考えていくことにします。

1、モダニズムとはどんな主張だったのか?ここでの話の流れでは、なぜ精神修養としての生け花が否定されねばならなかったのか?
2、前衛生け花はそこから何を学び、生け花をどう変えたのか?その成果は何か?
3、モダニズム芸術は、今や過去のものとなり、その歴史的役割を終えている。現代芸術の主流は(モダニズム芸術の要素を含みながらも)ポスト・モダニズム。では、生け花はどうか?モダニズムの影響を受けた草月、小原などは歴史的な役割を終えているということにならないか?そこを検証しては?ということ。断定でも批判でもないです(短絡的な人から襲撃されないといいのですが)。
4、生け花にポスト・モダンの要素を取り込み、その課題に取り組むことはできないのか?つまり、生け花で現代芸術がやれないのか?
5、西洋文化圏の方が生け花を学ぶ時、西洋化した生け花をどうとらえているのか?前衛生け花が否定した生け花の伝統的な要素(日本人の伝統的な花への態度など)はどう受け取られるのか?


上記4への私の取り組みの例として、Yering Station 彫刻展で ABL賞を受賞した「鯨の胃袋」を紹介します。生け花的要素もあれば、非生け花的要素も。前者については、華道家の感性は容易に指摘できるでしょう。


特に今回は作品が生命を獲得する、その瞬間が強く意識できました。それは生け花ではよく感じること。花1本を生けるだけでいいこともあります。そこから葉を取り除いたり、他の花を加えたりして、作り込んでいくと、ある瞬間に作品が自分の物語を語りだした、と感じることがあります(これはお手本通りに生けるのが生け花と思っている人には得られない経験)。今回、同様の経験をしました。


プラスチックバッグの塊を作ってみると、白、ピンク、黒と色のコントラストが強すぎ。全体を青いシートで包むとずっと効果的。それを金網で包んだのですが、物足りない。金網を手で鷲掴みにすると、面白いシワが表面に出来ました。これはいける、と設置直前の3時間猛攻撃。そこで「作品になった」と感じたのでした。この作品については今後、別の文脈でも触れることになるでしょう。

2017年12月4日

Practice-led Research とは何だろう


Practice-led Research (PLR) について考えています。
約4ヶ月後、環境芸術と生け花について2回の発表を行います。
どちらも聴衆は大学関係者がメインの会議。
半端な発表はできません。

PLRは、芸術学部の大学院レベルで主流の研究方法になるでしょう。
芸術学部での博士課程は、まだ導入に踏み切れていない国が多いようです。
芸術における学問的な方法論が脆弱だからでしょう。
ところが、PLRには少しばかり可能性があります。

私自身は教育心理学で博士号を取っています。
ガチガチのQuantitative Research です。
仮説を立て、統計で検証し、有効か否か、数値で示します。

それに対し、Qualitative Research も、科学かなあということで
ゆっくり認められてきました。
今では、それも過去の話。
人類学、民俗学、社会学、教育学など多方面で優れた業績が上がっています。

芸術にもQualitative Researchなら、使えるのではないか、と多くの方は考えました。
というか、それがほとんど唯一、芸術を科学する方法論だろうと私は思います。
そこで、PLRです。

私の関心は、その方法論。そして今までの成果。
それを調べた上で、発表に繋げたいのです。

まだ、論文を漁り始めたばかりですが、方法論が曖昧なものが多い。
こんなに自分勝手にやって、認めてもらえるのか?
博士号が取れるのか?
これでは日本の文芸評論ではないか。
こんなに主観を入れていいなら、自由で楽しいだろうな、とか。

しかし、私にはまだ方法論がはっきりしてきません。
それをはっきりさせるのが第1の問題。

私は方法論にはうるさい、つもりです。
人文でも方法論がいい加減ではまともな研究にはなりません。
そうそう、博士課程の研究方法の授業では、私は高い評価をもらったものです。
外国人の私には珍しい経験でしたので、よく覚えています。
詳述はしませんが、毎週、ひとつの論文を選んでは、バリディテイ、リライアビリティなどにつき徹底的に分析するというような面白い授業でした。
担当教官が、私ごときを自分が教えた学生の中で最高の学生だ、とまでおっしゃって下さいました。先生はあまりいい学生に恵まれてこなかったのでしょう。

また、科学であるためには知が蓄積されていくことになります。
環境芸術における現在までの研究はどこまで来ているのだろうか?
これが第2の問題。

2017年11月25日

2017年11月20日

一日一華:レセプションに


商業花は、とても勉強になります。
時間、予算、場など様ざまな制約の中で
お客様に喜んでいただける作品、満足していただける作品を
作り出さなければいけない。

生の花であるというだけで喜んでいただけるという
ありがたさは確かにありますが。

今日は終日商業花に従事。
帰ってニュージランド産のアサリでボンゴレを作り、
ハイネケンで乾杯。

そのあと気楽なテレビとか映画で過ごせるならば
そんな生活はとてもいいものだと思います。
私にはそんな日は年に数えるほどしかありません。

華道家としてだけ生きていけるなら、それもいいだろうな、と思います。
しかし、この国、オーストラリアでは少し難しいでしょう。
第一に十分な需要がありません。

そして、また、さらなる目標が見えてしまうと、
華道家として、とどまることもできません。

2017年11月12日

RMIT Short Courses: Ikebana to Contemporary Art

In week 1 & 2 our students learn how to make a basic style Ikebana and its 7 design principles. In week 3 they produce a geometrical drawing using at least one of the principles. The students are encouraged to create several design and art projects applying Japanese aesthetics.  

14 February 2018: A new term of Japanese Aesthetics starts at RMIT. http://bit.ly/1IFmuyl



www.shoso.com.au

2017年11月6日

一日一華:レストランに


かつては一人で山歩き、自転車旅をよくしたものです。
知床半島、三浦半島、佐渡島、伊豆半島、紀伊半島などなど。
メルボルン近辺もあちこち廻っています。

それがばったりなくなってしまいました。
そのせいか、と思うことがあります。

飛行機が苦手になってきました。
閉所恐怖症か、パニックアタックか。
あの苦しさは、なんとも耐え難いもので、
飛行機から外に逃げ出したい、狂ったような衝動が抑え難い。
周囲から空気がなくなっていくように感じ、呼吸困難。

最近は、少し混んだ電車に乗っても
足の裏が熱くなってきて、気分が悪くなってきます。
似た症状です。

対策は禅の呼吸で精神を落ち着かせること。
私にはそれしかありません。

しかし、山歩きを再開して、効果を見てみようとも思っています。

2017年11月4日

21世紀的いけ花考 第64回


 現在の生け花に多大な影響を与えた重森三玲の芸術観。それを世界(というか西洋)の芸術史に照らして考えてみましょう。重森が草月流初代家元勅使河原蒼風、小原流家元小原豊雲らと生け花の改革に取り組んでいたのは大正末から昭和の初め。重森は「生け花は芸術だ」と主張したわけですが、彼の考える芸術とは19世紀後期から20世紀初期の西洋モダニズム芸術でしょう。彼の名前自体、ミレーから拝借したものですし、抽象芸術(初期フォーマリズム)の火付け役、カンディンスキーなども彼の崇敬した芸術家であったようです。

 モダニズムとはどのような芸術運動なのでしょう?ここを理解しておくのは重要です。現在、華道の3大流派とされる池坊、草月、小原のうち戦後飛躍的に伸長した草月、小原など前衛生け花諸流派の主張は「生け花は芸術だ」でした。モダニズムの芸術だということ。そして、日本の伝統的な生け花、精神修養としての生け花を否定したわけです。

 もちろん、全面的に否定することはできませんし、曖昧な部分も多かったでしょう。もしかすると掛け声ばかりで、中身は伝統的な要素を温存させていたということだったかもしれません。また、流派によっては、重森の影響を受けはしたけれど、その思想を変容させていったという場合もあるでしょう(草月流における勅使原宏の仕事のように)。

 しかし、建前は生け花の革新だったのです。そして、それが多くの日本人を惹きつけ、戦後、前代未聞の生け花ブームを巻き起こしたのです。

 海外に生け花人口を増やすことに最も成功したのは草月でしょう。実は、草月とは言わば日本文化と西洋文化の混成。西洋化した生け花。「日本文化だと思って生け花を勉強していたら、中身はどうも(今や時代遅れとなった)モダニズムじゃないか」ということにもなりかねない。

 さて、以上を踏まえると、またもや様々な疑問が生じてきます。それらをリストアップし、整理しておかないと大変なことになりそうです。枝葉末節にこだわらず、「生け花とは何か?」「生け花はどこへ向かうべきか?」などについて、大胆に推論し、現代の生け花の可能性を過激に探っていきましょう。

 今回紹介するのは、最近の結婚式装花の一部。私は彫刻に庭園デザイン、インスタレーション、ブーケも手がけますので、こんな大層な依頼がきます。マイヤーのミューラルホールを2000本のバラで彩りました。 

 ホストすることで、収益もあり、募金もできる私たちの生け花ワークショップ。11月はMade in JapanKazari で開催です。開催希望の企業、団体、募集中です。顧客リストをお持ちのビジネスに最適のイベントです。


2017年11月2日

一日一華:レストランに


To cling to some outdated notion of artistic autonomy, individualist creative freedom,  or transgressive and free avant-garde identity, divorced from any duty or responsibility for environmental considerations, is to advocate, intentionally or not, for the status quo of neoliberal exceptionalism and its destructive ecoside.  (T. J. Demos, 2016: 265, Decolonizing Nature)

ここも最近、ちょっと感心したというか、興奮した本の一節。

環境の問題に目を向けないで、
創造の自由だとか、前衛だとか
芸術家気取ってんじゃねえよ。
そういうのは、結局、環境破壊に肩入れしているってことなんだよオ。

と、まあ、喧嘩口調で訳したくなるような部分ですね。

実は、これ、私が秘かに感じていることなのです。
口には出せませんが。
現代芸術に対して、そして、いけばなの世界に対しても。

自分の作品を通じて、静かに、そして強く
伝えていきたいことがあります。

最近、私の彫刻作品が現代彫刻展で、ある賞を受賞しました。
http://www.shoso.com.au/2017/10/contemporary-sculpture-award-for-shoso.html

嬉しかったのは、審査員による私の作品の分析が実に深かったこと。
ここまで読み取って下さるのか、と感心しました。

賞金もありがたかったですし、
外国の芸術の土俵で評価していただけたという感慨もあります。

海外で芸術家としてやっていくというのは、
力のない者にとっては常に疎外されているような気持ちになりやすいもの。
ですから、この受賞は特別でした。

それにも増して、分かってもらえた、
自分の言葉が通じたという満足感は大きいものでした。

2017年10月16日

2017年10月7日

2017年10月4日

21世紀的いけ花考 第63回


 重森三玲の芸術としての生け花論では、草木など自己表現のための材料でしかない、ということでした。戦後大躍進した草月流、小原流などに影響を与えた、この主張がいかに日本の伝統に反するものであるかを理解するためには、生け花の起源にまで遡る必要があります。

 土橋寛が「遠く古代に源流する花見の習俗が、『立花』を経て『活け花』という生活文化を生み出すに至った」(「日本語に探る古代信仰」中公新書)と書いていますが、正論でしょう。

 花とは鼻なのです。花の語源については諸説ありますが、私は冗談ともとれるこの説が好きです。鼻は顔の先端。外界に接する部位。花もまた外界・異世界と接する存在です。この外界とは、つまり、聖なる世界。この類比の論理で、花と鼻がつながるのです。日本語は面白いですね。

 花見で春の訪れを祝うのですが、本来の趣意は花を見ることで生命力を強化すること(タマフリと言います)。また、山に咲いた花の枝を折り、田植えの際に田に挿すという風習もあったようです。ようやく訪れた春の生気・神性。それは花に宿っているわけですが、豊作を願って、それを田に移そうということでしょう。古来から伝わる日本における花の性格が少し分かってくるでしょう。難しい言葉では呪物崇拝とかマナイズムなどと言います。

 まず、花は生命力に満ちた存在とみなされていたということ。これは了解できるでしょう。しかし、生命力とか「いきいきした感じ」などという表現では、言葉足らずな感じがします。その力は神秘的で日常を超えた聖なるものでもあります。さらに、その力は伝染します。魂に流れ入り、魂を振り起こしてくれます。花とはそうした霊力・呪力を持つ存在。本来、花は神聖なるものという認識が立花にも、生け花にもあったのです。

 つまり、重森の主張は、精神修行としての生け花を否定しただけでなく、この伝統的な花に対する見方をも否定したのです。これをどう考えたらいいのか。世界史的な見地から再検討すべきです。大変なことになりそうですが、次回に続きます。

 今回の作品はレズリー・キホー・ギャラリーズでの松山智一展に活けた小品のひとつ。松山さんの色の祝祭に対し、色を渋く押さえ込んで対峙しました。

 10月7、8日にアボッツフォード・コンベントで華道展和開催、また、22日からのYering Station彫刻展に選出されました。どちらも観光名所です。ぜひ、お越し下さい。さらに、25日からはRMITでの公開短期講座・日本美学も新学期開始。今月は忙しくなりそうです。

2017年9月26日

一日一華:レンギョウ



メルボルン大学で開催された The Japanese Australian Poetry Festival のためのいけばな。

連翹は我が家の庭から。

毎年色々な機会に使っています。
今年は、今回が最後でしょう。

連翹は1年のほとんどは、あまり綺麗な植物ではないですが、
春のこの彩り、ほんの数週間のためには、納得。
庭が明るくなるし、いけばなにも使える。
重宝しています。

2017年9月24日

一日一華:結婚式の花準備中


結婚式の装花を準備中。
今週は全てこのプロジェクトのために。

いけばなだけやっていければいいのですが、
そうもいきません。
私の特殊な事情によるのでしょうが、
彫刻もやれば、西洋花もやります。
庭のデザインまでやります。

今回はバラだけで約2000本を注文済み。
それくらいのスケールのプロジェクトです。

問題は人手がないこと。

おそらく日本で先生が個展をやるということになると、
生徒さんはボランティアで協力してくれるでしょうね。
勉強になるはずです。

安い月謝で教えてもらっているのだから、
こういう機会にお返ししなければ、ということもあるでしょう。

今回の仕事は私にとって個展のようなもの。
しかし、私の生徒からはなかなか協力が得られません。
お金を払っても難しいでしょうね。

文化の違いですから、仕方ないのです。

プロの集団を雇えればいいのですが、
このような仕事が頻繁にあるわけでもない。

お金を払っても、また難しい。
あまり仕事ができない方にお金を払い、
仕事ができる方、例えば私の生徒にはボランティアでお願いするというような
おかしなことにもなりかねません。

なんとかいい方法を見つけたいのですが。

2017年9月19日

一日一華:穢れとしてのプラスチック


オーストラリア人原住民の信仰には、
自然と共生するための叡智が多く含まれているようです。

それは神道でもそうでしょう。
穢(けが)れとして禁忌してきた信仰の背後には
エコシステムを維持するために意義深いものがあるようです。

自然を守るために、自らの行動を慎む、ということ。
それは叡智と言えるでしょう。

「古代信仰の叡智に注目を」と何人かは繰り返し訴えていますが、まだまだ。
資本主義社会は欲望追求に忙しい。
自らの行動を慎むなどという考えは微塵もない。

例えば、自然の立場からすれば、プラスチックなど極めて有害。
海洋に浮遊しては、亀などの水生動物が誤って食べて悶絶死、
海底に沈んでは、マイクロ・プラスチックとなって小生物まで汚染し、殺す。
当然、人体へも危害を及ぼす。
「プラスチックは穢らわしい」という感覚が生まれ、
それを信仰にまでもっていけないか。

地球環境の汚染、疲弊をどうしたらいいのか。
あれこれ考えざるをえません。

Shoso Shimbo

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