いけ花における拡張領域1:勅使河原宏と現代芸術
新保逍滄
1980年以降、約20年に渡って宏は竹を用いた生花作品を通じ、生花のインスタレーションとしての可能性を追求した。現代芸術史上のインスタレーション発生のモチーフは生花のひとつの重要な可能性を示すものとして宏にとって共感できるものであったろう。
また、宏の自然観、自然素材に対する独特の態度、最後の作品群のグリッド構造(格子)は、いずれもモダニズムをはじめとする西洋芸術の影響を深い次元で受容した必然的な帰結だった。
竹を割り、線と見なすということは、自然素材を分解し、その表層的属性から切断し、抽象的な単体にまで還元することであり、アセンブラージュ作成の初期段階における既存の関係性から素材を切断、抽出する作業に類似している。共に素材を浄化し、その本質に迫ることを可能にする。続く制作過程では反復と累積というミニマリズムにも共通するアプローチで生花的秩序を内包させた抽象的形態のインスタレーションを創造した。
現代芸術におけるグリッドの重要性に関し、クラウスはその機能が構造主義が着目する神話の機能に類似していると指摘する。様々な二項対立の矛盾を解消することなく包摂し、精神性への可能性を示唆する。宏の最後の作品群についてはそのような可能性を認めることができよう。
生花の領域をその極限まで拡大することで、表面上、過激で非生花的な作品でありながら、生花の伝統、精神性を保持し、同時に現代芸術の文脈にそれを位置づけることに成功した稀な例となった。
「生花における拡張領域」第2部ではロザリー・ガスコインを扱う。現代芸術から生花に移行した宏に対し、生花から現代芸術に移行したガスコインは、宏と対照的な諸相を持ちながら、創造の核心ではある種の共通性を持つ。極端な形態ではあるが生花のアセンブラージュとしての可能性を追求した彫刻家と見なすことができよう。ほぼ同時期に活動した宏とガスコインを現代生花の拡張領域における対極として位置づけることで、新たな視野を得ることができる。